働くASDパパ、親子で“発達”してます

職場で浮き、家庭で揺れて。それでも僕は、親であり続けたい。

自分勝手すぎる!と息子を責めた僕が、いちばん自分勝手やった

息子が小2のときのこと

サッカーの体験教室に参加しただけのはずやった。
でも、僕にとっては“親”としての未熟さを突きつけられた、忘れられへん一日になった。

 

準備OK。でも、試合が始まった瞬間に違和感

その日、息子はサッカークラブの体験に参加した。
初めての場所にちょっと緊張しつつも、準備は問題なし。シューズ履いて、水筒持って、表情も悪くなかった。
僕も「ええ表情しとるし、まぁうまくいくんちゃうか」と、どこかで安心してた。

 

けどな。
試合が始まった瞬間、想像してなかった光景が目の前で起きた。

うちの子は、ボールを止めるのに平気で手を使った。
他の子を押し倒してしまったり、ルールとまるで関係ない動きも多かった。
ついには、ボールに覆いかぶさって、コーチが何回止めても耳に入らん。

試合は進行不能になって、周りの空気もピリついた。
僕の頭ん中も、真っ白になってた。

 

 

感情が先に出てしもた。“正しさ”を押しつけた僕

その光景を見て、僕の中の“正しさセンサー”が暴走した。

「もっと周り見ろや」
「自分勝手すぎや」
「ダサいぞ」
「お前はチームプレー向いてへんわ」

気づいたら、そんな言葉を次から次へとぶつけてた。
口調もきつかったし、目も吊り上がってたと思う。

そのときの僕には、
「他の子に迷惑かけた」
「ルールを守ってない」
「みっともない」
そんな“理想の父親”みたいな基準ばっかりが頭にあった。

でもほんまは、ただ自分が恥ずかしかっただけやと思う。
「親として、ちゃんとしてる姿を見せなあかん」
「うちの子だけ浮いてるのを見られたくない」
そんな感情で、息子にあたってしまった。

 

 

なんで言ってしまったんやろ。“親”としての後悔

家に帰ってから、後悔ばっかりが頭をぐるぐるしてた。

息子の顔は、正直どこかぽかんとしてた。
怒られてるのはわかってたと思う。でも、自分がなにを間違えたのか、きっと理解できてなかったんちゃうかな。

そりゃそうや。
僕は、なにも聞かずに一方的に怒っただけやったから。

なにを考えて、なにを見て、どうしてそう動いたんか。
一回も聞こうとしなかった。

ただただ、「僕が見てる“正しさ”」をぶつけてしまっただけやった。

 

 

息子の気持ちを、ちゃんと聞けてたら

いま思う。
あのときほんまに大事やったんは、
うちの子がどんな気持ちでそこにいたんかを、ちゃんと聞くことやった。

サッカーが苦手やったんかもしれん。
ルールを理解してなかったのかも。
それでも楽しもうとしてた可能性もある。

それを知ってからでも、伝えられることはあったと思う。
「こういうときはこうした方がよかったな」とか、
「それはアカンけど、こんなやり方なら大丈夫やで」とか。

結果だけ見て怒るんやなくて、
その気持ちを“うまく形にする方法”を一緒に考える
それがほんまの“チームプレー”やったんやろな。

 

 

まとめ:反省しながらでも、親でありたい

子育てって、ほんま難しい。
反射的に怒ってしもて、あとから後悔して、また反省して…。

でもそれでも、諦めたくない。
僕は、親として成長したいと思ってる。
子どもと一緒に、まだまだ“発達”していきたい。

たぶんこれからも失敗する。
けど、そのたびにちゃんと向き合って、考えて、前に進みたい。

今日も、反省しながら、親してます。